- 2012-03-24
グッドスウェル
午前4時起床。
WEBエロ雑誌の記事を二つ終わらせ、波情報をチェック。
低気圧が差しかかり、かなりのサイズがありそう。
さっそくウェットに着替え、午前8時に入水。
波のサイズは「肩」から「頭」。
ブレイクの仕方もなかなかよい。
しかし、ぼっちのライディングはなんだかパッとしない。
この「なんだかパッとしない」ことの最大の問題点は、「なぜ、なんだかパッとしないのか?」が、よくわからない点にある。
つまり「ダメな理由」がわからない。
これは原稿を書いているときも同じ。
「なーんか違うんだよなー」とゆーよーなダメな理由がぼんやりしているとき、書き直しの原稿量は、凄まじい枚数に達する。
海から帰宅後、ふてくされて寝る。
午後2時起床。
それでも「パッとしないライディング」に対するモヤモヤは晴れていない。
結局午後3時、ふたたび海へ。
サイズはいくぶん落ちたものの、潮が上げこみ、なかなかよい波を維持している。
ライディングは午前中よりはいくらかましになった。
しかし、「ダメな理由」と同じよーに「ましなった理由」も、やっぱりわからない。
武道家の甲野喜紀先生はtwitter上で、よく稽古中に体感した「気づき」を呟いておられる。
「気づき」を体感できないことには、その術理はおそらく内面化できない。
つまり技は進歩しない。
しかし、ぼっちはいくら波に乗っても「気づき」を体感できない。
だからサーフィンも進歩しない。
うううう。
気づきたい。
もっともっと気づきたい。
ぼっちは鈍感なのであろーか。
本日の入水時間、約5時間。
50過ぎのおっさんが、仕事もせずにいー気になって5時間もサーフィンなんかやってていーのだろーか。
いーはずがない。
そのことにいまごろ気づいていることが、致命的な問題だとゆー気もする。
WEBエロ雑誌の記事を二つ終わらせ、波情報をチェック。
低気圧が差しかかり、かなりのサイズがありそう。
さっそくウェットに着替え、午前8時に入水。
波のサイズは「肩」から「頭」。
ブレイクの仕方もなかなかよい。
しかし、ぼっちのライディングはなんだかパッとしない。
この「なんだかパッとしない」ことの最大の問題点は、「なぜ、なんだかパッとしないのか?」が、よくわからない点にある。
つまり「ダメな理由」がわからない。
これは原稿を書いているときも同じ。
「なーんか違うんだよなー」とゆーよーなダメな理由がぼんやりしているとき、書き直しの原稿量は、凄まじい枚数に達する。
海から帰宅後、ふてくされて寝る。
午後2時起床。
それでも「パッとしないライディング」に対するモヤモヤは晴れていない。
結局午後3時、ふたたび海へ。
サイズはいくぶん落ちたものの、潮が上げこみ、なかなかよい波を維持している。
ライディングは午前中よりはいくらかましになった。
しかし、「ダメな理由」と同じよーに「ましなった理由」も、やっぱりわからない。
武道家の甲野喜紀先生はtwitter上で、よく稽古中に体感した「気づき」を呟いておられる。
「気づき」を体感できないことには、その術理はおそらく内面化できない。
つまり技は進歩しない。
しかし、ぼっちはいくら波に乗っても「気づき」を体感できない。
だからサーフィンも進歩しない。
うううう。
気づきたい。
もっともっと気づきたい。
ぼっちは鈍感なのであろーか。
本日の入水時間、約5時間。
50過ぎのおっさんが、仕事もせずにいー気になって5時間もサーフィンなんかやってていーのだろーか。
いーはずがない。
そのことにいまごろ気づいていることが、致命的な問題だとゆー気もする。
- 2012-03-12
3/11 PM2:46 材木座海岸
雨が上がり、晴れてきたのでこむぎと海まで散歩にでかける。
日差しは明るく、海岸はポカポカと春めいている。
日曜なので、海岸にはたくさんの観光客がところどころに集まってお弁当を広げている。
その中にはかなりの数の若いカップルも見受けられる。
これはまったくの推測なのだが、
日曜 → デートする → 目指すは鎌倉 → 歩いているうち海岸にでちゃった → 「コンビニでお弁当でも買って食べない?」「いいね!」
とゆー経路をたどるカップルは「まだ付き合い始め」とゆー方々が多い気がする。
どことなくだが、みな弁当を食べる仕草がぎこちなく、いくぶん舞い上がっている。
そんなカップルであるから当然といえば当然なのだが、彼らのほとんどは自分たちの頭上15メートルあたりをゆっくりと旋回しているトンビの群れに気づいていない。
ぼっちはこの情景に出合うとワクワクして必ず足を止める。
初デートに頬を上気させた女の子が彼氏にサンドウィッチを差し出す。
彼氏ははにかんでそれを受けとろーとする。
そのとき彼らの背後でバサリと羽音がたつ。
「キャー!」
急降下したトンビが、彼氏の口中におさまるはずのサンドウィッチを両足でがっちりゲットし、大空高く舞い上がってゆく。
ピーヒョロロ。
ピーヒョロロ。
頭上のトンビは仲間同士で収穫を言祝いでいる。
カップルは一瞬なにが起こったかわからず、やがて茫然と空を見上げ、あわててお弁当を隠し始める。
フフ、ヌハハハハハ。
ざまーみろ。
ぼっちはこの光景を見るのが大好きなのである。
本日一番面白かったのは、トンビがマックシェイクをゲットしそこない、内容物の大部分を彼氏のふとももにぶちまけてしまった場面であった。
ヌハ。ヌハハハハハハハハハ。
トンビさん。
いつも面白いものを見せてくれてありがとう。
頭上のトンビさんたちに礼をいって踵を返すと、海岸に市役所からの放送が流れる。
「間もなく昨年東日本大震災が発生した時刻を迎えようとしております」
その時間は、PM2:46───。
海岸にいるほとんどの人が立ち上がり、あるいは海に向かってひざまずき、黙祷して、両手を合わせた。
トンビに襲われたカップルたちも、
それを見て笑ってたおれも、
海に向かって、両手を合わせた。
本当のことをゆーと新聞テレビの「絆」の大合唱にはへきえきしていた。
でも、その時間が訪れると、おれはごく自然に海に向かって手を合わせていた。
今日の波のサイズは「くるぶし」。
湖と変わらないおだやかさだ。
あの日から、何度も何度も海辺に立ち、東北を襲った津波の大きさを頭の中でシュミレーションしている。
いや、実際にニュース映像でいやになるくらい津波を目にしてきた。
それでも「くるぶしの波」が津波に変貌するときの凄まじさを、いまも思い描くことができないでいる。
日差しは明るく、海岸はポカポカと春めいている。
日曜なので、海岸にはたくさんの観光客がところどころに集まってお弁当を広げている。
その中にはかなりの数の若いカップルも見受けられる。
これはまったくの推測なのだが、
日曜 → デートする → 目指すは鎌倉 → 歩いているうち海岸にでちゃった → 「コンビニでお弁当でも買って食べない?」「いいね!」
とゆー経路をたどるカップルは「まだ付き合い始め」とゆー方々が多い気がする。
どことなくだが、みな弁当を食べる仕草がぎこちなく、いくぶん舞い上がっている。
そんなカップルであるから当然といえば当然なのだが、彼らのほとんどは自分たちの頭上15メートルあたりをゆっくりと旋回しているトンビの群れに気づいていない。
ぼっちはこの情景に出合うとワクワクして必ず足を止める。
初デートに頬を上気させた女の子が彼氏にサンドウィッチを差し出す。
彼氏ははにかんでそれを受けとろーとする。
そのとき彼らの背後でバサリと羽音がたつ。
「キャー!」
急降下したトンビが、彼氏の口中におさまるはずのサンドウィッチを両足でがっちりゲットし、大空高く舞い上がってゆく。
ピーヒョロロ。
ピーヒョロロ。
頭上のトンビは仲間同士で収穫を言祝いでいる。
カップルは一瞬なにが起こったかわからず、やがて茫然と空を見上げ、あわててお弁当を隠し始める。
フフ、ヌハハハハハ。
ざまーみろ。
ぼっちはこの光景を見るのが大好きなのである。
本日一番面白かったのは、トンビがマックシェイクをゲットしそこない、内容物の大部分を彼氏のふとももにぶちまけてしまった場面であった。
ヌハ。ヌハハハハハハハハハ。
トンビさん。
いつも面白いものを見せてくれてありがとう。
頭上のトンビさんたちに礼をいって踵を返すと、海岸に市役所からの放送が流れる。
「間もなく昨年東日本大震災が発生した時刻を迎えようとしております」
その時間は、PM2:46───。
海岸にいるほとんどの人が立ち上がり、あるいは海に向かってひざまずき、黙祷して、両手を合わせた。
トンビに襲われたカップルたちも、
それを見て笑ってたおれも、
海に向かって、両手を合わせた。
本当のことをゆーと新聞テレビの「絆」の大合唱にはへきえきしていた。
でも、その時間が訪れると、おれはごく自然に海に向かって手を合わせていた。
今日の波のサイズは「くるぶし」。
湖と変わらないおだやかさだ。
あの日から、何度も何度も海辺に立ち、東北を襲った津波の大きさを頭の中でシュミレーションしている。
いや、実際にニュース映像でいやになるくらい津波を目にしてきた。
それでも「くるぶしの波」が津波に変貌するときの凄まじさを、いまも思い描くことができないでいる。
- 2012-03-06
低気圧スウェル
昨日の夕方から波があがり始めた。
今日の午前中のサイズは「胸」。
セットで「頭」くらい。
潮のあげ始めで、ブレイクの仕方もなかなかよい。
なにより気温が高いのがよい。
海に入るまえは、まず軽く食事をする。
空腹でなくても必ずなにか腹に入れる。
夏でも冬でもサーフ中に空腹になると、急に身体が冷えてくる。
だから少なくとも二時間くらいは「保つ量」のエネルギーを備給しておかねばならない。
それから歯を磨く。
朝、すでに磨いたあとであっても、必ずもー一度口腔内を丁寧に洗浄する。
理由は、───自分でもよくわからない。
きっと海女さんとかと一緒で、身体の一部を「お清め」してからでないと、海にはいっちゃいけない気がしてしまうのである。
二か月ほどまえから、こむぎと海岸まで散歩にいった際、砂地を走り回っている。
サーフィン上達のために下肢の筋力を強化しているのである。
そのための訓練のひとつとして、海岸で連続して「クロスステップ」を踏む。
ロングボードとゆーのは、名前の通り、長く(2メートル9センチ以上)、浮力がある。
その分、うねりのパワーを受け取りやすい。
つまり、ショートボードより早くテイクオフできる。
しかし、長いだけあって板は簡単には動かない。ボード上で素早く(後ろ足がフィンの真上に位置するくらいまで)後退し、ボードの先端を浮かせるよーな操作をしないとボードはターンしない。
しかし、そのままでは(長い板の最後部に重心がかかっているわけだから)みるみる失速する。スピードをあげるためには、一気にボードの先端まで「歩いて」重心をまえに荷重ねばならない。
サーファーは波に乗り続けるために絶え間なくボードを前後に行ったり来たりしなきゃならない。
このボード上で行う「前後の歩き」のことをクロスステップと呼んでいる。
左右の足を(ファッションモデルのよーに)クロスさせながら足の着地位置が「同一線上」にくるように歩くのである。(そーしない歩くたびにバランスが左右に傾く)
ボードの「前」にステップするのはわりと素早くできるのだが、「下がるとき」にもたつくケースが多い。
とゆーわけで海岸では「後向きステップの練習」を重点的におこなう。
つまり海岸に到着したおれはよく(こむぎとともに)後ろ向きに(なおかつファションモデルのよーに)足をクロスさせながら歩いて(とゆーか走って)いる。
ゆーまでもないがかなり変な光景である。
サーフィンを再開して気づいた筋力劣化は数えきれないが、中でも意外だったのは「足の親指の筋力の劣化」である。
長い年月のうち、身体の軸が微妙に「外側」(つまり足の小指のほう)にずれているのだ。
身体の軸を「内側」に寄せないことには不安定な波のうえでバランスを維持することはできない。
そんなわけで近頃は毎日「足の親指」も鍛えている。
床に置いた雑誌などの上に「足の親指だけ」を載せて、それで身体全体を上下に動かすことをくり返しているのだが、それだけでもかなり「バランス維持効果」は高まっている。
数日それを続ければ、歩く際に足の親指が地面をしっかりと「グリップ」しているのがわかるよーになる。
当然ボード上でも親指は板にグリップする。
ワイプアウト(板から落下)する回数は劇的に減った。
それにしてもなぜおれは、こんなことまでしてサーフィンが上手くなりたいのであろーか。
ランナーのよーにタイムを短めるとか、競技大会で入賞するとか、具体的な目標設定があるわけではない。
うまいサーファーをみればカッコいーと思う。
確かにおれもあのよーにカッコよくなりたいと思う。
しかし、これは説明するのがむずかしーのだけど、うまいサーファーをみて本当にうらやましく感じるのは正確にゆーと「そのサーファーと波との関係性」なのである。
テイクオフしたあとの波は刻々と形状を変化させる。
波はあるとき急に「トロく」なり、あるいは「えぐれ」、波頭が「飛び出し」、かと思うとふたたび「トロく」なって、一気に「崩れ」落ちたりする。
サーファーはその波の変化と同時に、あるいは一手早く、最適のボード操作を行って、波から受け取るパワーを保持し続けなければならない。
つまりサーファーは瞬時に発信してくる波からの情報を、その都度最適な身体操作で「アフォート」し続けなければならない。
サーフィンをしていない方は意外と思われるかもしれないが、うまいサーファーと下手なサーファーが「波に乗っている時間」そのものは、じつはまったく同じなのである。
沖でえぐれ始めた波が浅瀬に打ち寄せるまで。
波のサイズにもよるが、長くても10数秒。
「波に乗っていられる時間」は限られている。
超絶的なテクニックをもつサーファーも、初心者サーファーも「持ち時間」は一緒なのである。
しかし、うまいサーファーと下手なサーファーの「移動距離の違い」には、みなさんもすぐにお気づきなると思う。
うまいサーファーは(浜から見ていると)波面上を横に滑走し、その波がトロくなると崩れた場所まで「戻り」、そこで波のパワーを備給して、今度は上下にターンをくり返し、波を「しごいて」スピードを上げ、再び「戻り」、浅瀬で崩れた始めた波頭に向かってボードを「当て」、フニッシュする。
一方初心者サーファーは波に乗ったら、(岸に向かって垂直に)一直線に浅瀬まで移動して、それでお仕舞いである。
それでも波に乗っている時間は両者とも「同じ」だ。
しかし、うまいサーファーは圧倒的に波面上を移動している距離(戻ったり、上下にターンしたり)が長い。
つまり、うまいサーファーのほーが圧倒的に「速い」。
「うまいサーファー」とは言いかえると「波のパワーをより効率的にスピードに変換できる人」のことをゆーのである。
サーファーは波と戦っているわけではない。
波と「一体になる」とゆーのとも少し違う。
おそらく波とゆーのは、単調に寄せたり返したりしているだけのよーに見えて、「サーフボードさえあれば、あれもできる、これもできる」とさまざまなアピールをしているのである。(それを「アフォーダンス」と呼ぶ)
つまり波からアフォートされたアピールに「思わず応えたくなってしまう人」だけが、サーフィンにのめり込んでしまうのである。
波との「関係性」をより、微細に、なおかつ深くしたくなるのだ。
そのためにつらいパドルをくりかえしてしまうのである。
ほんと、つらいのよ、あれ。
ぼっちはもー51だし。
それでも今日は波があるので。
これから歯を磨いて、海まで行ってきます。
今日の午前中のサイズは「胸」。
セットで「頭」くらい。
潮のあげ始めで、ブレイクの仕方もなかなかよい。
なにより気温が高いのがよい。
海に入るまえは、まず軽く食事をする。
空腹でなくても必ずなにか腹に入れる。
夏でも冬でもサーフ中に空腹になると、急に身体が冷えてくる。
だから少なくとも二時間くらいは「保つ量」のエネルギーを備給しておかねばならない。
それから歯を磨く。
朝、すでに磨いたあとであっても、必ずもー一度口腔内を丁寧に洗浄する。
理由は、───自分でもよくわからない。
きっと海女さんとかと一緒で、身体の一部を「お清め」してからでないと、海にはいっちゃいけない気がしてしまうのである。
二か月ほどまえから、こむぎと海岸まで散歩にいった際、砂地を走り回っている。
サーフィン上達のために下肢の筋力を強化しているのである。
そのための訓練のひとつとして、海岸で連続して「クロスステップ」を踏む。
ロングボードとゆーのは、名前の通り、長く(2メートル9センチ以上)、浮力がある。
その分、うねりのパワーを受け取りやすい。
つまり、ショートボードより早くテイクオフできる。
しかし、長いだけあって板は簡単には動かない。ボード上で素早く(後ろ足がフィンの真上に位置するくらいまで)後退し、ボードの先端を浮かせるよーな操作をしないとボードはターンしない。
しかし、そのままでは(長い板の最後部に重心がかかっているわけだから)みるみる失速する。スピードをあげるためには、一気にボードの先端まで「歩いて」重心をまえに荷重ねばならない。
サーファーは波に乗り続けるために絶え間なくボードを前後に行ったり来たりしなきゃならない。
このボード上で行う「前後の歩き」のことをクロスステップと呼んでいる。
左右の足を(ファッションモデルのよーに)クロスさせながら足の着地位置が「同一線上」にくるように歩くのである。(そーしない歩くたびにバランスが左右に傾く)
ボードの「前」にステップするのはわりと素早くできるのだが、「下がるとき」にもたつくケースが多い。
とゆーわけで海岸では「後向きステップの練習」を重点的におこなう。
つまり海岸に到着したおれはよく(こむぎとともに)後ろ向きに(なおかつファションモデルのよーに)足をクロスさせながら歩いて(とゆーか走って)いる。
ゆーまでもないがかなり変な光景である。
サーフィンを再開して気づいた筋力劣化は数えきれないが、中でも意外だったのは「足の親指の筋力の劣化」である。
長い年月のうち、身体の軸が微妙に「外側」(つまり足の小指のほう)にずれているのだ。
身体の軸を「内側」に寄せないことには不安定な波のうえでバランスを維持することはできない。
そんなわけで近頃は毎日「足の親指」も鍛えている。
床に置いた雑誌などの上に「足の親指だけ」を載せて、それで身体全体を上下に動かすことをくり返しているのだが、それだけでもかなり「バランス維持効果」は高まっている。
数日それを続ければ、歩く際に足の親指が地面をしっかりと「グリップ」しているのがわかるよーになる。
当然ボード上でも親指は板にグリップする。
ワイプアウト(板から落下)する回数は劇的に減った。
それにしてもなぜおれは、こんなことまでしてサーフィンが上手くなりたいのであろーか。
ランナーのよーにタイムを短めるとか、競技大会で入賞するとか、具体的な目標設定があるわけではない。
うまいサーファーをみればカッコいーと思う。
確かにおれもあのよーにカッコよくなりたいと思う。
しかし、これは説明するのがむずかしーのだけど、うまいサーファーをみて本当にうらやましく感じるのは正確にゆーと「そのサーファーと波との関係性」なのである。
テイクオフしたあとの波は刻々と形状を変化させる。
波はあるとき急に「トロく」なり、あるいは「えぐれ」、波頭が「飛び出し」、かと思うとふたたび「トロく」なって、一気に「崩れ」落ちたりする。
サーファーはその波の変化と同時に、あるいは一手早く、最適のボード操作を行って、波から受け取るパワーを保持し続けなければならない。
つまりサーファーは瞬時に発信してくる波からの情報を、その都度最適な身体操作で「アフォート」し続けなければならない。
サーフィンをしていない方は意外と思われるかもしれないが、うまいサーファーと下手なサーファーが「波に乗っている時間」そのものは、じつはまったく同じなのである。
沖でえぐれ始めた波が浅瀬に打ち寄せるまで。
波のサイズにもよるが、長くても10数秒。
「波に乗っていられる時間」は限られている。
超絶的なテクニックをもつサーファーも、初心者サーファーも「持ち時間」は一緒なのである。
しかし、うまいサーファーと下手なサーファーの「移動距離の違い」には、みなさんもすぐにお気づきなると思う。
うまいサーファーは(浜から見ていると)波面上を横に滑走し、その波がトロくなると崩れた場所まで「戻り」、そこで波のパワーを備給して、今度は上下にターンをくり返し、波を「しごいて」スピードを上げ、再び「戻り」、浅瀬で崩れた始めた波頭に向かってボードを「当て」、フニッシュする。
一方初心者サーファーは波に乗ったら、(岸に向かって垂直に)一直線に浅瀬まで移動して、それでお仕舞いである。
それでも波に乗っている時間は両者とも「同じ」だ。
しかし、うまいサーファーは圧倒的に波面上を移動している距離(戻ったり、上下にターンしたり)が長い。
つまり、うまいサーファーのほーが圧倒的に「速い」。
「うまいサーファー」とは言いかえると「波のパワーをより効率的にスピードに変換できる人」のことをゆーのである。
サーファーは波と戦っているわけではない。
波と「一体になる」とゆーのとも少し違う。
おそらく波とゆーのは、単調に寄せたり返したりしているだけのよーに見えて、「サーフボードさえあれば、あれもできる、これもできる」とさまざまなアピールをしているのである。(それを「アフォーダンス」と呼ぶ)
つまり波からアフォートされたアピールに「思わず応えたくなってしまう人」だけが、サーフィンにのめり込んでしまうのである。
波との「関係性」をより、微細に、なおかつ深くしたくなるのだ。
そのためにつらいパドルをくりかえしてしまうのである。
ほんと、つらいのよ、あれ。
ぼっちはもー51だし。
それでも今日は波があるので。
これから歯を磨いて、海まで行ってきます。
- 2012-03-01
恥的国歌論
大阪府議会に続き、市議会でも「君が代起立条例」が可決された。
いやなニュースだ。
おれは国歌斉唱の際に、しっかりと起立して気持ちよく君が代を歌いたい方々の気持ちを尊重する。
しかし、それと同時に、君が代が流れると、突然気持ちがダウンして「立ちあがる気力も一緒に失せてしまう」とゆー人の思いも尊重する。
あるいは思想上の(または政治的な)理由によってかたくなに「立つもんか」と奥歯をかみしめてしまう方の思想的(政治的)自由も尊重する。
君が代をきっぱりと拒絶し、着座しているにもかかわらず、壇上で君が代を斉唱している女教師を眺めているうちに「君が代歌う女ってなんかエロいな」とあらぬ妄想をふくらましてしまい、なぜだがちんこだけは勃ってしまう男がいたとして、その男の立たない自由とそれでも勃ってしまう不条理も尊重する。
とゆーか「立つつもりはないのに勃つ」とか「立つべき場面で勃たない」といったとんちんかんですっとこどっこいでおっちょこちょいな人間の自由と不条理を(もしかしたらそれだけを)おれは愛してさえいる。
しかし橋下徹とゆー男は、それではいかんと考えている。
君が代斉唱の際には、本当のところ起立なんかしたくない教職員も起立しなければならんといっている。
とりあえず気持ちなんかどーでもいーのである。
「面従腹背、大いに結構!」
なのである。
「面従腹背」しないと処罰されちゃうわけである。
しかし、「面従腹背」とは自分より強い者に対して「顔ではヘラヘラ笑って従順を装いながら、腹の中ではむしろその人に反感を抱いている」とゆー意味の言葉である。
そこには「相手に安心させておいて寝首を掻く」とゆー戦略的含意もある。
戦国時代とかには高度な政治戦略として、あえて「面従腹背」を貫いた武将もいたのかもしれない。
しかし、現在にあって「面従腹背」とは、どちらかとゆーと上役に対しNOといえない中間管理職(すなわちイエスマン)の卑屈な態度などを指して使われることが多い。
よーするに「戦う気概のない人間の卑しー生存戦略」とゆーニュアンスがある。
だから普通上司が部下たちに命じる語彙の中に「面従腹背」とゆー言葉は存在しない。
声高らかに「これからは仮に私に異論があってもヘラヘラ笑って従う卑しー人間なりなさい!」などと命じたら逆に部下たちのモチベーションが急降下するに決まっているからである。(そのまえに発言者の人間的資質に根源的な疑義が生じる。「もしかして、こいつとんでもないバカなのではないか」そう思われる可能性が高い)
しかし、大阪市長は市の教職員に面従腹背を強いている。
市長の望む通り、この先大阪に「面従腹背教師」が続出した場合、それで大阪地域内における教育的効果が高まると、市長は本気でそー考えているのだろーか。
子供とゆーのは案外するどく大人の「卑しさ」を見抜くのものである。
今回の条例によって一定数の「面従腹背教師」が出現した場合、それよりもはるかにたくさんの「面従腹背教師を軽蔑する子供」を生み出すことになるとおれは思う。
「教師を軽蔑する子供」を増やすことによって得られる教育的効果とゆーものをおれはうまく思い描くことができない。(この間、観たテレビ番組によると日本は取り上げた50の国の中で「生徒が先生を尊敬しない国(つまり先生を軽蔑している国)ベスト1」であった。番組中、「日本の先生いっぱい働いてるよ!もっと尊敬しなきゃダメだよ!」と怒っていたのはブラジルの女性だった。近頃、聞いたなかで一番腑に落ちる言葉だった。これ以上、子供に先生を軽蔑させてどーすんだよ。)
しかし「面従腹背命令」にも「効果」がなにもないわけではない。
「政治的効果」なら、少しは期待できるかもしれない。
「教師を軽蔑した子供」の一部は、教師の卑しー態度を通して、教師本人の自尊心もへったくれもなく屈従を強いることのできる市長の「力」を(無意識に、あるいは本能的に)仰ぎ見ることになるからである。
自分の考えと違う人間に「卑しー態度」をとらせることによって得られる市長の利益はなにか?
「面従腹背、おおいに結構!」とゆーいささか不思議な「決め台詞」を(いささか得意げに)のたまう市長の(自分でもあまり気づいていないと思われる)本当の目的はなにか?
おれには「自分の力の誇示」以外にあまり思いつかない。
しかし、多くの人は彼の「力技」に快哉を叫んでいるよーである。
そこで、その方々(「君が代」を歌うときは起立せえ!と思っている人)にお聞きしたいのだが、もしこの先、彼よりも大胆な「力技」を携えた権力者が現れたとして、その権力者が「君が代を歌うときは着座せえ!」とのたもうたときみなさんはどのよーな「権利」を起点に反論を展開するのだろー。
「わたしはとにかく起立して歌いたいのだ! わたしの心の自由を侵害するな!」
そーゆーのかな。
案外そんな反論などしないでひっそりと「面従腹背」しているよーな気もする。
[追記]
おれ自身はいままで「君が代斉唱」に際し、(おのおのの式の流れにそって、かなり適当に)起立していた。
でも個人的に「君が代」とゆー歌は大嫌いである。
歌詞が「天皇を詠んでいる」といった思想上の理由ではない。
単純におれの音楽的な好みに合わない。(ぼっちはあの陰気なメロディがいやなのだ)
ただそれだけのことである。(だから国歌なんだから愛せといわれても困る)
子供の頃から、あのメロディが流れ出すと、なぜだかものすごくモチベーションが下がってくるのである。
(だからスポーツの国際試合なんかのまえに「君が代」が流れると、選手たちに同情したくなってくる。大きなお世話だが)
そんなわけで、君が代に関しては、起立して歌おーが着座していよーが、そんなもんはどっちだっていー。
できることなら君が代を耳にする機会そのものを減らしてほしーと思っている。(聞いてるだけだっておれはしんどいのである)
そのうえ「立て」だのなんだのと、とやかく命令することだけは勘弁してほしー。
命令されると途端におれは「面従腹背できなくなる」そーゆー性分なのである。
つまり、それまでは「なんとなく起立していた」のに、「立て」と命令された瞬間から「着座したくなる」そーゆータイプの人間なのである。
君が代なんか大嫌いなのに起立していたおれの「おれなりの愛国心」を踏みにじらないでいただきたい。
市長にお願いしたいのは「ほっといてくれ!」ただそれだけである。
いやなニュースだ。
おれは国歌斉唱の際に、しっかりと起立して気持ちよく君が代を歌いたい方々の気持ちを尊重する。
しかし、それと同時に、君が代が流れると、突然気持ちがダウンして「立ちあがる気力も一緒に失せてしまう」とゆー人の思いも尊重する。
あるいは思想上の(または政治的な)理由によってかたくなに「立つもんか」と奥歯をかみしめてしまう方の思想的(政治的)自由も尊重する。
君が代をきっぱりと拒絶し、着座しているにもかかわらず、壇上で君が代を斉唱している女教師を眺めているうちに「君が代歌う女ってなんかエロいな」とあらぬ妄想をふくらましてしまい、なぜだがちんこだけは勃ってしまう男がいたとして、その男の立たない自由とそれでも勃ってしまう不条理も尊重する。
とゆーか「立つつもりはないのに勃つ」とか「立つべき場面で勃たない」といったとんちんかんですっとこどっこいでおっちょこちょいな人間の自由と不条理を(もしかしたらそれだけを)おれは愛してさえいる。
しかし橋下徹とゆー男は、それではいかんと考えている。
君が代斉唱の際には、本当のところ起立なんかしたくない教職員も起立しなければならんといっている。
とりあえず気持ちなんかどーでもいーのである。
「面従腹背、大いに結構!」
なのである。
「面従腹背」しないと処罰されちゃうわけである。
しかし、「面従腹背」とは自分より強い者に対して「顔ではヘラヘラ笑って従順を装いながら、腹の中ではむしろその人に反感を抱いている」とゆー意味の言葉である。
そこには「相手に安心させておいて寝首を掻く」とゆー戦略的含意もある。
戦国時代とかには高度な政治戦略として、あえて「面従腹背」を貫いた武将もいたのかもしれない。
しかし、現在にあって「面従腹背」とは、どちらかとゆーと上役に対しNOといえない中間管理職(すなわちイエスマン)の卑屈な態度などを指して使われることが多い。
よーするに「戦う気概のない人間の卑しー生存戦略」とゆーニュアンスがある。
だから普通上司が部下たちに命じる語彙の中に「面従腹背」とゆー言葉は存在しない。
声高らかに「これからは仮に私に異論があってもヘラヘラ笑って従う卑しー人間なりなさい!」などと命じたら逆に部下たちのモチベーションが急降下するに決まっているからである。(そのまえに発言者の人間的資質に根源的な疑義が生じる。「もしかして、こいつとんでもないバカなのではないか」そう思われる可能性が高い)
しかし、大阪市長は市の教職員に面従腹背を強いている。
市長の望む通り、この先大阪に「面従腹背教師」が続出した場合、それで大阪地域内における教育的効果が高まると、市長は本気でそー考えているのだろーか。
子供とゆーのは案外するどく大人の「卑しさ」を見抜くのものである。
今回の条例によって一定数の「面従腹背教師」が出現した場合、それよりもはるかにたくさんの「面従腹背教師を軽蔑する子供」を生み出すことになるとおれは思う。
「教師を軽蔑する子供」を増やすことによって得られる教育的効果とゆーものをおれはうまく思い描くことができない。(この間、観たテレビ番組によると日本は取り上げた50の国の中で「生徒が先生を尊敬しない国(つまり先生を軽蔑している国)ベスト1」であった。番組中、「日本の先生いっぱい働いてるよ!もっと尊敬しなきゃダメだよ!」と怒っていたのはブラジルの女性だった。近頃、聞いたなかで一番腑に落ちる言葉だった。これ以上、子供に先生を軽蔑させてどーすんだよ。)
しかし「面従腹背命令」にも「効果」がなにもないわけではない。
「政治的効果」なら、少しは期待できるかもしれない。
「教師を軽蔑した子供」の一部は、教師の卑しー態度を通して、教師本人の自尊心もへったくれもなく屈従を強いることのできる市長の「力」を(無意識に、あるいは本能的に)仰ぎ見ることになるからである。
自分の考えと違う人間に「卑しー態度」をとらせることによって得られる市長の利益はなにか?
「面従腹背、おおいに結構!」とゆーいささか不思議な「決め台詞」を(いささか得意げに)のたまう市長の(自分でもあまり気づいていないと思われる)本当の目的はなにか?
おれには「自分の力の誇示」以外にあまり思いつかない。
しかし、多くの人は彼の「力技」に快哉を叫んでいるよーである。
そこで、その方々(「君が代」を歌うときは起立せえ!と思っている人)にお聞きしたいのだが、もしこの先、彼よりも大胆な「力技」を携えた権力者が現れたとして、その権力者が「君が代を歌うときは着座せえ!」とのたもうたときみなさんはどのよーな「権利」を起点に反論を展開するのだろー。
「わたしはとにかく起立して歌いたいのだ! わたしの心の自由を侵害するな!」
そーゆーのかな。
案外そんな反論などしないでひっそりと「面従腹背」しているよーな気もする。
[追記]
おれ自身はいままで「君が代斉唱」に際し、(おのおのの式の流れにそって、かなり適当に)起立していた。
でも個人的に「君が代」とゆー歌は大嫌いである。
歌詞が「天皇を詠んでいる」といった思想上の理由ではない。
単純におれの音楽的な好みに合わない。(ぼっちはあの陰気なメロディがいやなのだ)
ただそれだけのことである。(だから国歌なんだから愛せといわれても困る)
子供の頃から、あのメロディが流れ出すと、なぜだかものすごくモチベーションが下がってくるのである。
(だからスポーツの国際試合なんかのまえに「君が代」が流れると、選手たちに同情したくなってくる。大きなお世話だが)
そんなわけで、君が代に関しては、起立して歌おーが着座していよーが、そんなもんはどっちだっていー。
できることなら君が代を耳にする機会そのものを減らしてほしーと思っている。(聞いてるだけだっておれはしんどいのである)
そのうえ「立て」だのなんだのと、とやかく命令することだけは勘弁してほしー。
命令されると途端におれは「面従腹背できなくなる」そーゆー性分なのである。
つまり、それまでは「なんとなく起立していた」のに、「立て」と命令された瞬間から「着座したくなる」そーゆータイプの人間なのである。
君が代なんか大嫌いなのに起立していたおれの「おれなりの愛国心」を踏みにじらないでいただきたい。
市長にお願いしたいのは「ほっといてくれ!」ただそれだけである。





