いまから20年ほどまえ、川崎のとある専門学校で働いていたときのことだ。
その日、奇妙な女子学生をみかけた。
やたらと何度も廊下を往復している。
しかも、小走りで、異様にソワソワしている。
で、その日何度目か廊下ですれ違ったとき、おれは彼女にいった。
「さっきからなにしてんだよ? 誰か探してんのか?」
「ううん。そーじゃないの。おしっこが近いの。もー漏れちゃいそーなの」
彼女はすでに限界に近いらしく足踏みをしながらおれにいった。
「すぐ医者にいって抗生物質処方してもらえよ」
おれは笑ってそー答えた。おれ自身、その症状をすでに経験済みだったからだ。
「え、どーして?」
「尿道炎か膀胱炎だよ。彼氏に汚い手で触らせたんだろー」
「あー!」
彼女はそーいーながらサッと踵を返してトイレに飛び込んでいった。
それからしばらくすると今度は彼女が教務課のまえに立ち、ドアの向こうからおれにむかって手招きしている。
廊下にでてゆくと、やはり彼女はソワソワしながら小声でおれにいった。
「これから病院行ってくるけど、ぼっちさん、ビョーキのこと絶対誰にもいわないでね」
彼女と「秘密を共有してしまったこと」がおれの気持ちに影響を与えたのだろーか。
こんなことがあっておれはこの彼女のことが好きになった。
この場合、好きになったきっかけは「尿道炎」である。
男が女を好きになる。
きっかけなんか千差万別だ。
問題はこの先にある。
パトリス・ルコントの撮ったフランス映画「仕立て屋の恋」は、
「男が女を好きになってゆくときの息苦しさ」がとても官能的に描かれている。
冒頭イールの仕事場を訪ねた刑事がゆー。
「君に質問がある。君はどーしてみんなから嫌われているのかね?」
「わたしもみんなが嫌いです」
このやりとりが示すとーり、仕立て屋イールはなんとなく偏屈で(しかし、清潔で物静かな)孤独な中年男である。
そして他人とかかわらず自分の日課を厳密に守って暮らしている。定刻に仕事を終え、定刻に食事を済まし、定刻にブラームスのレコードをかけて、定刻に部屋の明かりを消す。
そしてひっそりと部屋の窓辺に立つ。
向かいのアパートに住む美しく若い娘、アリスの暮らしを「覗く」ためである。
そう。そんなイールでもひそかに心を寄せている女がいたのだ。イールはアリスに恋している。ブラームスの旋律とともに、ただ女をみつめるだけの「観察者」の恋だ。
ところがある晩、イ―ルはアリスに「自分の覗き」を気づかれてしまう。
雷光が窓辺にたつイールの姿をくっきりと照らし出したのである。
すると翌日、今度はアリスのほーがイールに接触してくる。(アリスの恋人はある殺人事件にかかわっている。だからアリスは、夜ごと自分の部屋を覗いていたイールが「どこまで真相を知っているのか」を確かめたいのだ)
そしてイールもまたアリスが「恋人のために自分に接近してきたこと」に気づいている。
イールの気持ちは複雑である。初めてアリスが部屋を訪れた際は「帰れ!」と怒鳴り、追い返しさえする。(しかし、アリスが去ったあと、ソファのくぼみに顔を突き出し、そっとアリスの残り香をかぐ。こー書くとちょっと変態チックな印象を抱くかもしれない。だが、映画ではじつに切なく官能的なシーンになっている)
結局イールはアリスの魅力に抗しきれない。
ある朝、待ち合わせた駅でイ―ルはアリスに愛を告白する。
イールの行動が変わってゆくのはじつはここからである。
「愛の告白をしたこと」がイールのターニングポイントになるのだ。
その直後からイールはもーただの「観察者」ではいられなくなる。(告白後、イールは、電車内で恋人と一緒にいるアリスに、恋人の目を盗み愛撫をする)
きわめて大胆な(ゆーなれば)「愛の狩人」と化してしまう。
女の方々は一般に、男の「愛の告白」とゆーものを、男がある女を好きになり、その愛情が限界まで達したそのとき、いわばダムが決壊するよーになされると思っておられるかもしれない。
でも、順序は逆なのである。
男の愛情は「愛の告白」をした直後から劇的に亢進するのである。
ぼっちの少ない経験からいってもそーである。
男が女に愛を打ち明ける。
打ち明けられた以上、女のほーにもなんらかの「応答義務」が生じる。つまり(女が望もーと望むまいと)その男との愛を巡るコミュニケーションに巻き込まれてしまう。
女もその男を愛していたなら話は早い。
二人で夢のよーな一夜を過ごして、次のステージに移行してゆけばよい。
女にまったくその気がないときはもっと話は早い。
二人のコミュニケーションはそこで終わる。
しかし、女の気持ちがビミョーなとき、答えをだすまでのわずかな猶予期間が生じる。
愛情が非対称な男と女の猶予期間。
男が女から「待った」をかけられているそのとき。
どーやら恋愛感情とゆーのはこの「非対称な愛のコミニュケーション」が生じたさいに飛躍的に増進するもののよーなのである。
「告白後」、対象の女はバージョンアップする。
つまり「最愛の女」は「告白後」に現れるのである。
(もしかしたら女たちは直観的にそのことをよくわかっているから、男からの「愛の告白」を待ち望んでいるのかもしれない。なにしろ整形なんかしなくたって「告白」され、ちょっと焦らしさえすれば、それで「世界で一番美しー女」になれるんだから。女のみなさん、ご存知かとは思いますが本当になれます。少なくともぼっちの目には「世界一美しー女」に映ります)
しかも、多くの場合、「愛の告白」はその男の最後の切り札である。
さらに「告白」にはあらかじめ「その女を断念する」とゆー予断が含まれている。(「その女に迫る」とゆーのは同時に「断られたらそれでお終いの立場」に自ら立つとゆーことである。)
つまりヒジョーなサスペンスがかかっている。
サスペンスは不安を呼び、不安が想像力を増大させる。
そのうえ男に手持ちのカードはもーない。
徒手空拳でその女に挑まなければならない。
できることといったらきわめて捨て身で限定的な方法しか残されていない。
告白後のイールは「アリスを殺人の共犯者にしないため」のあらゆる手立てを講じて、最後の「賭け」に臨む。
だが、その同じ日にアリスに裏切られる。
アリスは恋人を救うため、あろーことかイ―ルに殺人の罪をなすりつけよーとしていたのだ。すべてはアリスの「演技」であり「罠」だったのである。
こーしてイールは自分にとって絶望的な真実を知る。
だが、少しも表情を変えずじっとアリスを凝視したまま静かにこー語りかける。
「笑ってくれてもいーが、アリス、わたしは少しも君を恨んではいないよ。ただ、死ぬほど哀しーだけだ。それでもいー。君はわたしに歓びをくれた」
うう。
哀しすぎるぞ、イ―ルよ。
イールの「断念」は直後の「死」を呼び込むことになる。
好きな女への想いを断念するのはたいへんつらく、切なく、哀しー。
だからといって断念できないとその男はストーカーにでもなるしかない。
断念をはなから忌避している男はそもそも生身の女に恋をしない。バーチャルな対象にしか恋をできない。
おそらくイ―ルはアリスに出合い、初めて「生身の女」に恋をしたのである。
遅すぎた「初恋」が悲劇を生む一因だったといえなくもない。
もしかしたら思春期のころ、おれがあれほど簡単に身悶えるよーな恋愛に踏み込んでしまったのは、
ぼっちにより多くの「断念」を経験させ、いち早く大人にさせるための、人類があみだしたあんがい高度で複雑な肉食系男子育成プランの一環だったのかもしれない。
「尿道炎」で始まった20年前のぼっちの恋は、
イ―ルと似たよーな心理経過をたどり結局、おれがボロボロになって終わった。
その後もぼっちは女を巡る「断念」をくりかえしている。
ぼっちはもー充分大人なので、
「断念」なんか経験しなくてもいーはずなのだが。
なぜだろー。
女難の旅はいまも続いている。
- 2010/01/12(火) 13:42:59|
- ふとしたエロ
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女優の若林美保さんからコメントをちょうだいした。
あれは忘れもしない去年の冬。
その日、亀蔵作品にご出演いただいたわかみほさんにぼっちは、、
「早急にわかみほさんの記事をぼっちのブログにアップします! させてください!」
と懇願したのである。
それくらいその日のわかみほさんの「存在感」に圧倒されたのである。
それなのにグズグズグズグズとアップを先延ばしにしたまま、数か月がたってしまった。
そのうえコメントまでちょうだいしてしまった。(そのまえにぼっちは「わかみほさんがぼっちを覚えていてくれたそのこと」に感動のあまり、射精していた。)
ありがとー。
そして、ごめんなさい。
じつはわかみほさんは本来AVではなく「舞台」を中心に活動なさっている。
大学在学中にストリッパーとしてデビューなさった「踊り子さん」である。(いまもさまざまなジャンルの舞台公演や写真集のモデル、映画女優としてでご活躍なさっている。もちろんたくさんの「わかみほファン」がおられる)
つまり、踊りにかんしては筋金入りの「プロ」のお方である。
それまでのぼっちは、
AVとゆーのは女優さんが「より素人っぽい」ほーが劣情が喚起されるものだと思っていた。
女優さんの絡みがあんまり洗練されてしまうと、その「プロっぽさ」に興ざしてしまうのではないかと。
ところがカメラが回ったときのわかみほさんの「動き」はぼっちの浅はかな決めつけを凌駕していた。
なんだか他の女優さんとは「さま」が違うんである。
動きがすごく綺麗なんである。
つまり「プロを感じさせる動き」なんである。
そして「プロっぽさ」と「劣情」は全然相殺し合ったりしないんである。
みているだけでたいへん心地よいのである。
長い四肢があるときは点と点とを最短距離で移動し、
またあるときは優雅な弧を描いて男優さんに絡む。
身体の筋肉はやわらかく無駄な贅肉がない。(そして、その筋肉がじつにエロチックに隆起する。)
撮影中のぼっちは「生わかみほ」を凝視しつつ、口腔内に大量の唾液を分泌することをとめることができなかった。
もちろん股間からはべつの体液を分泌させつづけていた。
ぜひぼっちも一度お相手していただきたい。何度もそー思った。
だが仮にぼっちがわかみほさんと同衾できたとしても、
「早漏」ならぬ
「触漏」(触れた瞬間にいく)
あるいは、
「視漏」(みた瞬間にいく)
とゆー新たな病を発症し、
数秒後には羞恥のあまりベッドから大気圏外までテレポーテーションしていることであろー。
難病をかかえたぼっちはお近づきになりたくてもなれない間柄なのである。
わかみほさんにこのよーな「美しくエロい動き」を可能にしているのはおそらく厳しー「訓練」のたまものである。
そして、こーいっては悪いのだが、
あまたのAV女優さんの中に「経験則」から得た「撮られ方」を熟知した方はおられても、
「長年の訓練によって洗練された動き」をなさる方はほとんどおられない。
考えてもみれば「訓練」とはある種の「SM行為」である。
自分の身体をいじめる。
自分のいじめに自分で応える。(あるいはいじめを快楽にかえる)
そのよーな「一人SM」を自分の中に成立させないことには「訓練」は続かない。
おそらくわかみほさんはすでに「鍛えられたSM的筋肉」によって体内を「緊縛」しているのだ。
だから「緊縛された身体の動線」に不思議なエロスがにじんでいるのである。
本当は亀蔵オリジナル作品に主演していただきたかった。
でも、諸般の事情がかさなりかなわなかった。
わかみほさん、今年こそ出演してくださいね。
ぼっちがわかみほさんにぴったりのエロい脚本を書きますから。
最後に、
撮影が終わった際の私服姿のわかみほさんがあまりに「可愛らしく」、
ぼっちは思わずその日、何度目かの射精をしてしまったことを追記しておきたい。
わかみほ公式ブログ「仏座」(ほとけのざ)http://ameblo.jp/wakamiho/
- 2010/01/06(水) 14:36:32|
- さまざまな女
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今年の正月は妹宅で過ごす予定。
これから横浜で両親を拾い、川崎の新百合丘に向かう。
忙しさとどひまな状態がまだら状にやってきた奇妙な一年であった。
さまざまな女優さんと出逢った。
初めて縛師とも会った。
テレビドラマを書き、
アダルトビデオを撮った。
売れてるドラマ脚本家もおられるし、
大金を稼いでいるAV作家もいる。
でもドラマとAVを同時にこなす脚本家がいることをおれは知らない。
きっと日本シナリオ作家協会会員の中でもおれ一人だけであろー。
それだけが、おれの唯一の自慢である。 うう。
今年もあまりブログ更新ができなかった。
来年こそは!
といいたいとこだがやめておこー。
毎年そーいっているので。
でも、続ける。
このブログはやめません。
それだけは約束します。
ではみなさん、また来年お会いしましょう。
ぼっち
- 2009/12/31(木) 12:03:05|
- 俺のこと
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